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risuboxerノート

これでも毎日楽しく生きてるよ

センスは買うもの

最近思うこと

 

いままでセンスっていうものは自分の中に眠るオリジナルなものだと思っていたけど、どうやら違うっぽい。ボクラはセンスを買って組み合わせてるだけだ。

 

センスは元から持ってる趣味趣向に加えて育ってきた環境が左右し、さらには意図的にセンスの元になる芸術品なり作品に触れることで身につくものという認識で生きてきた。先天的にしろ後天的にしろ、本人のなかある不定形な感覚を研ぎ澄ましたり付け加えたりすることでオリジナルな思考回路を作るものなんだと思っていた。センスが悪いからいいになるまで無数の階段を上らなくちゃいけないと思っていた。

 

残念ながらボクラが表現しているセンスは買い揃えて、組み合わせた結果にすぎない。

お店一つ一つに注目してほしい。ものを売るということで世の中に価値を提供している。各々の店がこれがいいとものをプッシュし、ボクラは共感したものを買う。ボクラはものを選んで買っているというよりも、提供された選択肢のなかでしか選ぶことをしていない。

 

例えばファッションセンスがあるなんていう人。衣服やアイテム一つ一つはお店で売られているものであり、それぞれを組み合わせることで表現をしている。衣服やアイテムはお店が売ってるものであり、売るかどうかはお店がもつセンスに委ねられる。これがいいね、と買ったものは世の中に提供されている選択肢の一つだ。提供されているセンスを買い、各々が編集することでオリジナルを生み出している。

 

もはやセンスとは一人で作れるものではないし、表現することもできない。

世の中の大半は作るのでなく、編集をすることでオリジナルを表現している。

 

まあ別にいいじゃない。0から作らなきゃいけない、なんてことは絶対にないし、センスを他人に委ねることだって立派な選択だ。これから自分にあるものを探す、より、自分に合いそうなものを提供しているお店を探す、姿勢のほうがいろいろ楽さ。

 

それに編集だって高度な技術だ。選択肢は限られているといったって人間の処理能力をはるかに超える選択肢で溢れている世の中なんだからある意味無限の選択肢だ。その選択肢も無数のセンスのフィルターをかいくぐって世に提供されているものなのだから一つ一つもレベルが高いはずさ。無意識かもしれないけど組み合わせるのってすっごく高度な技術だってボクは思ってる。

 

要は、お店ってめっちゃ尊いし、組み合わせて編集する能力だってすごいんだぜ、って言いたかった。